雑記帳

ぼーっとしている若者が つらつら書いていきます

一週間遅れの成人の日

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

  あけおめ投稿をしてからはやいこと10日経った。良質な記事を書くためには何よりもインプットが大切だと自分に言い聞かせて、アウトプットをせずに溜め込んでは吐き出す気も薄れ、また思い出したらでいいやという悪循環が続いていた。そもそもパソコンを開く時間を制限したい気持ちもあった。タブをどんどん開いて閉じてを繰り返すよりも、4コマ漫画を読み、スマホYouTubeに勤しむほうが不思議と充実感がある。お正月にテレビをたくさん観たせいか、観たいテレビ番組も増えるばかりで、私の文章のようにだらだらと過ごす時間に歯止めがきかず、おうち時間は毎日更新され続けるエンタメの消費に費やされた。

 こんな風にぐでたま状態で時間が過ぎていくことに何にも違和感がなくなるのが大人になることなのかもしれないという使い古された言い回しをする。2分の1成人式というのが小学校であったが、その時の自分のメッセージはとてもキラキラしていた。逆に10歳の時は暗黒の時代で、大人になった20歳の方が自由で楽しいという人もたくさんいるだろう。私事だが、好きなサッカー選手は変わっていなかったのが強く印象に残っている。その選手のようなスーパースターにはなれなかったが、ありがたいことにサッカーを好きでいる気持ちは増すばかりだし、年々知識だけは増えていっていると思う。

 だいたい600字くらいになった。新聞の投書欄は400字程度だし、Twitterはもっと短いし、簡潔で、ぎゅっと詰まった発言の方が良の評価が得られやすい気もする。最後に最近パラパラとめくって楽しんだ本を紹介したい。

 

  タイトルそのまま、三島由紀夫川端康成の貴重な手紙がおそらく原文のまま載っている。正月に年賀状を書かなければと思ったので、何か得られればと期待したが、手紙の内容が浮世離れしていて全くと言っていいほど参考にはならなかった。ただ、20過ぎのまだ学生だった頃の三島の手紙はかなり興味深かった。とにかく師匠にてがみを書くということが、自分なんかのことで時間を取らせてはいけないと、罪悪感にかられながらも、ついつい熱のこもった手紙を書いてしまう、そして聞いてほしいという気持ちがそのまま表れていた。言うまでもないが早熟の天才とはこういうことを言うのかと唸らされる美しい文章の数々だった。

 世界中とタイムレスでつながれるようになった今だからこそ、文章からの方が、かえってほとばしるような熱を伝えられることがあるかもしれない。そんなことを思っても、誰にも手紙を書かず、スマホのスタンプで済ませるのが現代人だとも思う。ただ心のこもった手紙をもらって嫌な気持ちになる人はいないだろう。堂々巡りに入りそうなのこの辺で。

 最後に、公務員試験の勉強をしなければいけないとわかっているのに身が入らず、面白い本を読破してしまうという場面が三島の手紙の中にあった。私のような、漫画、ゲーム、ドラマの沼にはまる者とは、インテリはやはり違うのだなと、とてつもない差を感じた