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1日8時間寝るとして・・・・・・・・

『週刊ビッグコミックスピリッツ』おススメの漫画

 

アオアシ(21) (ビッグコミックス)

アオアシ(21) (ビッグコミックス)

 

  タグ機能が追加されていたので使ってみる。数年前からビッグコミックスピリッツに沼っているが、連載漫画の中で一番楽しみにしているかつ、何度も読み返してしまうのがこの「アオアシ」だ。連載開始が2015年1月なのでだいぶ長く続いている。

 高校年代のサッカーを舞台としている漫画はそこそこある。ただこの漫画が他と違うのは、Jリーグの下部組織に所属している、サッカーをしている同世代の人間の中ではエリートとされる人種が主人公であるところだ。キャプテン翼から入り、いろんなサッカー漫画を読んできたが、Jユースに所属している高校生が主人公の漫画は今までなかったと思う。

 当然エリート集団なのだから、サッカーが下手な人間はいない。プロになれるのは同期10数名の中でも多くて3人程度だから、かなりシビアな世界である。実際のユース内部は知らないが、かなりいい意味で皆個性が強く、手を抜いて、ゆるくサッカーを楽しもうという弱小部活の雰囲気ではもちろんない。まさに人生をかけてサッカーに取り組んできている、そしてプロになれるかの瀬戸際に立たされている、集団の話だ。

 私がかなりのサッカーオタクなので、出てくるチーム名などからこれはあそこのチームを指しているなと分かるところも面白さの一つだ。U18プレミアリーグに出場しているような強豪が若干名前をもじって登場してくる。

 内容については、最新の現代サッカーの戦術が頻繁に出てきたり、これやったら面白く、絶対上手くなりそうやなという奇抜な練習メニューが出てきたり、オタク心をくすぐってくる内容だ。また主人公がいわゆる穴場のポジション(そこが主戦場かよとツッコみたくなる)(ただかなり奥深く、日本人選手が海外で成功しやすいのかもしれない)というのも面白い。

 まとめるとかなりリアル重視の内容で、ファンタジー要素はあまりない。実際にこの漫画を読んでプロを目指しましたというような少年が数年後現れてきても驚かないような、バイブル本にもなりうる。私は残念ながら高校サッカーにはもう戻れないので、追体験することは厳しいが。

 ビッグコミックスピリッツは、ほかにもたくさん現実重視の面白い漫画がある。

 

  最近連載が終わってしまったが、これも今までなかなか出会わなかったタイプのお話だった。まず作者がモデルでテラスハウスに出演するようなイタリア人、これだけで、興味が湧いてこないだろうか。私がテラスハウスフリークであったからかもしれないが、終わってしまったのが寂しい。

 漫画とは全く関係ない余談だが、トランプがコロナに罹ったタイミングで私もあるウイルスにかかってしまった。出席停止扱いになるような類で、症状は目の充血オンリーで体はぴんぴんなのだが、自宅安静が求められている。症状は日に日によくなっているので心配いらなそうだが、なんだかよく眠ることと、点眼を一日5回することが治療法というのも怠惰な私にはぴったりな気がする。

 今日は横殴りの雨のなか虹も現れ、夕焼けも薄いピンクでなかなか好きな色だ。明日は洗濯日和になってほしい。

 

 

 

半チャンラーメンにしなかったことを評価したい

 先に断っておくが、たぶん私が昨日の夜何を食べたのか?と気になってブログを見てくれる方はいないだろう。完全に自分語り(それ以外何がお前に書けるのか?)を始めたい。

 昨日は用事があったので、確か出かける前にブログを更新した。ざっくり言うと、夜ご飯何を食べるか楽しみだ、という内容だったと思う。結論から申し上げますと、シンプルなラーメン(税込)737円を、地元の味は間違いないラーメン屋さんで頂きました。またもれなく、食後にドラッグストアでジンジャーエール350mlを購入し、自宅で冷凍庫で急冷却させ、あえて缶のまま、少々ゲップを続けながら3気ぐらいで飲み干しました。

 自分でも情けない。結局疲れて、一人になると濃ゆ目ラーメンを体が欲するのだ。しかもせっかくそこそこ遠出したにもかかわらず、新しいお店を開拓するわけでもなく、いつも食べに行ける店に落ち着く。全然「孤独のグルメ」感が感じられないではないかと。

 ただこうも言える。あの疲れを感じながら、新しいお店に入っていれば間違いなく、アルコールを頼んだ。そして案外美味しくねーなとがっかりしていただろう。(よく並んでいるラーメン屋さんに興味本位で並んでいただくが、口に合わないことが多い)(最近だと、白湯ラーメンがいまいち、自分の体には合わなかった)

 昨日の夜までは、まだよかった。若干チャレンジしなかった自分には腹が立ったが、マシな選択だっただろうと。夜ご飯を1000円以内に抑えるなんて大したもんだよと。 

 問題は今日の午前中だった。緩やかな腹痛に悩まされたのだ。もともとトイレに行く回数は昔から多いのだが。ピーーちゃんはきつい。しかも今日も用事があり出かけていたのにだ。あそこのラーメン屋は食べて寝るまでは満足度が高いのだが、次の日のQOLは頭から抜け落ちていた。そうニンニク強めのこってりラーメンで、必ずお腹おかしくなっちゃうもんなのだった。

 まあ午前中で痛みは治まり、また学習能力に欠損の疑いがある私は、本日の夜ご飯に餃子をチョイスしましたとさ。明日の腹痛確率70%といったところだろう。

 どうも食べた瞬間幸せになるものは、生活の質までは担保してくれない気がする。そりゃある程度マネーがあれば、信じられないほどうまい生野菜とかあるのだろうが。

 そういえば餃子店で著名人がトラブっていたのをネットで見かけた。真相を知らず、状況もいまいちわからない私が言うことは何もないのだが、やっぱりマスク着用をめぐるトラブルは当分消えそうにない。必ずしもマスクしているから安全とは言い切れないと私は思っているし、安心も求めてはいけないと勝手に意識しているのだが。

 誰かに叩かれたら、闘う戦闘力もないので、自分語りに留めておく。それにしても高層マンション、ビルが立ち並んでいるところはどこか暗い。

quitter

 今朝の体重測定の結果は72.4㎏だった。体内年齢も若返った。ただ家にある体重計はそんなに信用してはいけない。数か月に一度ジムにあるような、全身のバランスが数値化される体組成計を使うと、なんでこんなに数値が違うんだといつも驚かされる。だから測定値で信じていいのは重さだけのはずだが、やっぱり体脂肪も減っているとうれしい。

 3日間、時間を決めずだらだら動くだけで体重は減る。ただそれ以降続けるというのは結果を求めるだけでは、続かない。運動したとしても、なかなか減らずキープという状態に入るから。今日も朝、外に出て動こうかと一瞬思ったが、右膝に違和感を感じていたことを思い出してやめた。ただ朝起きた時の体は軽い。

 今日はもう運動はしないと決めた。明日もおそらく運動しない。じゃあ月曜日はどうする?が問題になってくる。2日休むとおそらく体は重くなる。プラスに考えれば、2日動かないと、体が本能的に動きたくなってくれるはずだ。

 動くこと、活動量を増やすことを毎日できないとなると、体重を減らすために出来るのは食事管理になる。食べること=人生の楽しみが成り立つ私の脳内をコントロールするのは難しい。過剰に食べたくなることは長年自覚しているが、やめられない。

 今日の夜何を食べるか、そこが月曜からも節制できるかのターニングポイントになりそうだ。今のところ、孤食の予定だ。この孤食はかなり危険だ。かといって予定を合わせて誰かとgo to eatするのも面倒だ。悪魔のささやきに負けない、カロリーに厳しい鬼軍曹が脳内に出現することを期待したい。

 走った後は、あれ書こうかな?、これ掘り下げたいなといろいろ浮かぶが、一晩寝ると大抵どうでもよくなる。

 ニュースで、除外が大きく報じられるのはいい流れとは言えない。いくら体調が良くても、感染したという事実は曲げられない。最近なんだか法に基づく、適切なプロセスとか、ツッコミたくなるコメントがまた増えてきている気がする。

 話が長い人も疲れるが、なんでもあっさり説明されるのもそれはそれで、疑いたくなる。私もくどくなりそうなので、この辺でやめておく。

slurping ramen

今週のお題「運動不足」

 毎度のことではあるが、ふむふむ今週のお題は「おやつの時間」かと確認して何を書こうかなといろいろ暇なとき考えていたらもう変わった。

 ここ数年ときたま過食気味になる私のおやつはラーメンだ。特に大体のお店で麺増量可能なつけ麵をチョイスすることが多く、食べた時の罪悪感と次の日の体重測定が怖いったらありゃしない。

 しかも、食べ始めて並盛分の麺をすすったときにもう満足感が来る。それなのに自分に課した大盛り分200gの麺を食べなきゃいけない。そしてお店を出るときには、また腹が出ていると激しく後悔する。

 またラーメンが罪深いのは、食後に炭酸飲料が飲みたくなることだ。特にレモンサイダーなど、コーラとかではない、若干さっぱりしたソーダでのどを冷やし、舌を甘くしたくなる(ダジャレではない)。ラーメンと炭酸はセットで、これでもまた腹が出る。

 そして偏見だが、ラーメン屋にいる人は私を含め腹が出ている。もしくは何を食べても太りそうにない羨ましい人たちだ。

 モデルの人が年に2回のラーメンを楽しみにしているとインタビューで語っていた。みんなが2回で我慢できるのなら、あんなにラーメン屋が至るところにあるわけがない。私だって2000円にされたらおやつとして食べる気にはならない。1000円札を投入してお釣りが来ちゃうから、数日節制すれば、と思えてしまうからガラガラ扉を開けるのだ。

 1週間前のお題についてだらだらと書いてしまった。本題に戻ると、ここ数日ランニングとは言えないスピードで、ジョギングみたいなことを夕方暇なときはしている。

 昨日も一昨日も5000歩程度やった。涼しくなってきたお陰で、汗はほとんど掻かず、さっぱりとした気持ちになるがどうにも楽しくない。昨日は月が奇麗で思わず斜め上を見ながら歩いたが、つまらない。

 音楽を聴きながらすれば楽しくなるのではとも思うのだが、先日の自動車運転免許の更新の際の講習会で、さんざん自動車の危険を教わったこともあり、自動車に対しての恐怖心が必要以上に高い。音楽に酔いしれて、激突されてお亡くなりにはなりたくない。だから耳はフリーな状態で外でいたい。私が活動する夕方は皆、運転が荒くなりやすい。

 そんなことなら公園を使えばいい気がするが、公園まで行くのがめんどくさい。結局運動することの敵はいつになっても面倒臭いという感情だ。短期的に考えれば洗い物は増える、体は疲れる、ゲームは出来なくなるでネガティブなことしか思いつかない。ただ長期的に考えれば、体は動くし、過食も抑えられるし、諸々の欲もなぜか失せる。

 それにしても、いつの時間帯も外を歩けば、マスクをしていない人を見ることはほぼない。私は屋外ではなるだけつけない派なので、避けられることもたまにある。正直なところ歩きスマホの方がよほど危険な気がするが、流れとしては屋外でもマスクをつけることは秋になっても冬になっても、変化が起きそうにはない。

 体重は現在73キロ前後をうろうろしている。スポーツの秋に何とか60キロ台の体にはなりたい。

無駄なこと

 他人から思えばどうでもいいようなことをこだわる面倒な人は、厄介者扱いされることが多い。私自身も周りからそういう認定をされているような気がする。

 去年の冬ごろ、ふとしたきっかけというよりただお金に困り、出来るだけ支出を減らすための第一歩としてもらったレシートを要らない裏紙にすべて貼ってファイリングするという作業を自分に課した。今の時代、スマホでパシャっと記録に残し、ポイントを得られるようなアプリも多多あるみたいだが、そもそもスマホを支出増加の敵とみなしている私はアナログな退屈な作業を仕事でもなく私生活に取り込めば何らかの効果が得られるはずだと期待した。

 結果から言うと何の意味もなかった。そもそも私はケチでもともと支出は少ないし、改めて入ってくるお金の総量が多いものが勝つんだなという資本主義的なものを感じただけだった。ケチケチしていてもそれなりに出ていくし、たまに散財をするという体質も何も変わらなかった。私の家では罰金制が一時期から始まったが、罰金の理由を書き残していたお陰で、不用意な行動を取らなくなったぐらいだ。結局外で消費することには何も変わらなかった。

 去年はキャッシュレス決済が流行り、そのレシートももちろん張り付けてある。それが昨日役に立った。話が長くなるので詳細は割愛するとして、まとめると、1年前購入した手袋に不備が見つかったのだが(購入して1年も使っていない手袋とは何なのかは伏せたい)、それを新品と交換してもらうのに間接的に役立ったのだ。もっとも一番活躍したのは、ノート型の可愛いシールがついているような家計簿だったが。やはりなんでも記録に残しておいて損はしないということを改めて思い知らされた。こんな数名の閲覧者しかいないブログでも、書いて残しておくことは1年後役に立つかもしれない。いや、この文章を読むこと自体が時間の浪費だろうから、やはりフワちゃんのYouTubeを観る時間に当てた方が、生活に彩りが加えられる気がする。

 だらだらと続けたが、結局今月のクレジットカードの請求が確定し、なぜか限度額目いっぱい使っていて(非常に少額)恐ろしいということだ。毎月、いつも学習しない自分が情けないが、いつのまにか数日単位でチェックしているのに、もろもろ引かれているのだ。まあクレカを持つとはそういうことといえばそれで終わりだ。今月はジジバババイトも出来たことだしと割り切る。

 明日も落ち着かない天気になりそうだ。最近朝ドラでみた昔の傘がしっかりしていてカッコよかった。あれはこうもり傘とは違うのだろうか。調べる気力はない。

 

 

家族

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

 

素晴らしき家族旅行 上 (毎日文庫)

素晴らしき家族旅行 上 (毎日文庫)

  • 作者:林 真理子
  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 文庫
 
素晴らしき家族旅行 下 (毎日文庫)

素晴らしき家族旅行 下 (毎日文庫)

  • 作者:林 真理子
  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 文庫
 

  家族がAmazonで購入した林真理子さんの文庫本を読んだ。文庫になったのは数か月前みたいだが、作品自体は1994年に刊行されていた。読み進めていくうちに感じた一昔前のお話感に納得した。公衆電話で国際電話をテレフォンカードを使って掛ける場面、ブランド物のバッグをプレゼントして親戚を喜ばそうとするところ、バブルが終わって不景気が続いていたころのお話らしい。私が生きていなかった親以上の世代の家族生活が、特に人間関係を基軸に描かれていて面白かった。思わず、ぷぷっと小さな吹き出し笑いが止まらない。性格の悪さが出る、けけっ笑いも止まらない。

 出てくる男はぼーっとした坊ちゃん風ばかりでつまらないが、女はキャラが強くて面白い。丁寧な言葉遣いをして、上の下、中の上あたりの階層の人間だと、プライド高くアピールする姑。逆にどんな人からも愛される、それはいわゆる先生と言われるような職業の人たちからも、老若男女だれからも愛される嫁。

 話は変わるが、私は小さいころからずっといかに母が姑にいじめられるのかを聞いてきたし、実際に見てもきた。そして、父がそんな母をいじめる自分の母親を怒ったり注意したりするところを一度も見たことがない。自分の母親が何を言ってもおかしいと思わないのか、時間が経てばなかったことになると期待しているのだろうか、それとも単に親に反抗するということが怖いままおじさんになったのだろうか。いずれにせよ長年の恨みをなかったことに出来るような女では私の母がないことは確かだ。まるで昨日あったことのように、30年前の嫌がらせ話をいきなり始める。

 長年嫁をいじめてきた変わり者で、クレイジーな私の祖母は完全にボケてきた。孫である私の名前は、遠い昔よく遊びに来ていた親戚の子の名前になっているし(私が何度訂正しても治らないので、もう会ったときに本来の名前で呼ばれることはないだろう)、私が住んでいる場所も勝手に自分の故郷にされている。また、自分の息子がどこに家を買ったかも覚えていないようだ。さらに面倒なのが私の祖父だ。こちらはまったくボケていないのだが自分の妻がボケたことを言うといちいち小ギレする。そしてバカなことを言うんじゃないと否定する。おそらく自分の妻がボケていることを認めたくないのだろうし、出来れば周りには隠したいのだろう。

 弱っている年寄りにどう接するのがベストなのかはよく分からない。とりあえず離れて暮らしていても出来る電話はなるべく頻繁にかけるようにしている。そして不思議なのは、電話だとボケた発言をほとんどしないのだ。推測するに、大人になった孫とリアルに接すると時系列やら、人物などがごちゃごちゃしてしまうのだろう。ただ声を聴くと元気をもらえるというのだから、電話してこちらもうれしい気持ちにはなる。

 また不安なのが、私の家族が情に薄いクレイジーなキャラ立ちをしている人物が多いということだ。とても互助の気持ちがあるとは思えない。お互いが出来るだけ関わりたくない、避けている気がする。情より金で解決が現実的な策になりそうだ。

 孫の私が出来ることは、出来るだけ元気な姿を見せることと、会ったときに優しくするぐらいしかない。

 

 

我らがパラダイス (集英社文庫)

我らがパラダイス (集英社文庫)

  • 作者:林 真理子
  • 発売日: 2020/03/19
  • メディア: 文庫
 

  コロナをまだ知らなかった去年読んだこちらの話も面白かった。これは老人ホームが舞台なのだが、正直「素晴らしき家族旅行」の方が、自分の置かれている境遇と重なるところも多かったからかもしれないが、笑えた。プライドが高い老人というのはこちらの話にも多多登場してくるので、そういうのを小馬鹿にする私の様な性格の悪い人間にはたまらない話であった気がする。

 

 あっという間に9月も過ぎ去った。サッカーの三浦知良選手、通称キングカズがピッチ上で初めて試合に出れた小学生のように、喜びを爆発させる顔を新聞で見かけた。自分は果たして年を取ったときあんな顔が出来るものと出会えるのだろうか。まああそこまでいかなくても小躍りして、ルンルン気分になれるものがあったらうれしい。

 

 

 

 

 

 

bowling alone

 「今週のお題」が読書感想文になっていたから、前から気になっていたけど分厚くて難しそうな本を図書館で借りた。

 内容は面白く、思っていたよりもすらすらと読めた。読み終わってすぐに記事を書き始めればいいものの、なんだか私がこの本について感想文を書いたところで、などと考えてしまって、ゲームをする時間を優先させた。こんなことばかり繰り返しているからいつまでたっても変わらないのだろう。

 ただ感想文を書くという目的がない、人と話す必要がない、それについて何かアウトプットしなくてもいい読書が好きだ。昔から図書館に通い、本を読むことは好きだが、本を読んで他者と感想を言い合う、議論するなどといったことをしたことがない私はなんだか寂しい気もするけれど、読書と文字を読むことの違いが分かっていない、私がいつもやっているのは文字を追っているだけのような気がしてくるけれど、やっぱり楽しいことなんだと思う。アウトプットが求められる勉強は大嫌いだから、大多数のひとには理解されないような、無意味な時間なのかもしれないけれど、他者と共有しないことの方が時代の流れとは逆行していると感じながらいまだに好きな気がする。

 この本のキーワードは社会関係資本だと思った。題名にもあるように、例としてボウリングクラブ等の、人とのつながりが活発な方が暮らしと民主主義には良いことを筆者は論じていたと思う。本を読んでも一週間で内容の大部分を忘れてしまう私が内容を語っても、ただの頭の悪い、主張を誤読している読者コメントにしかならないのでそこは割愛したい。どうせ「孤独なボウリング要約」と検索すればそれっぽいことをまとめてくれているサイトがたくさんあるだろう。専門家の意見とも出会えるかもしれない。ただ私はそれをしない。そもそも読書感想文はその本を読んで思ったことを書くものだと認識している。つまりその本に関係していることならなんでもいいと思っている。本を読んでも内容を忘れてしまう私は、学生時代よくこれを濫用した。なぜこの本を読もうと思ったのか、最初の一行を読んでなにを感じたのか、題名から考えたこと等々。内容には出来るだけ触れずにさも一通り読んで、特に気になったのが最初の段落だったと見せかけるのだ。S評価はもらえなかったが、いつもA+だった気がする。学生時代に変えなかったことを変えるのはだんだん厳しくなってくる。このブログを読んでくれた方に、高校生以下の方はおられない可能性が99%の気がするが、おそらく子を育てる親世代の方はいらっしゃるだろう。子供が私みたいにひねくれ者に育って欲しくないなら、宿題を手伝ってあげる時間を確保することをお勧めしたい。そして感想文を書く前に一冊読み切ったかどうか確認してあげてほしい。そして、繰り返し読んでいたりしたならば、何かご褒美をあげてほしい。ただ添削して赤字たっぷりにしてあげちゃうみたいなことはやらない方がいい気がします。誤字、脱字チェックぐらいがちょうどいい気がする。

 こんなだらだらと書くことならバカでもできます。というより、バカな方がだらだら書くのは得意です。洗練された文章はシンプルで論理展開が分かりやすいです。ここまで読んでつまらないと思われる方が大多数だと思うので、ちきしょーまた馬鹿なやつに時間を使わされたとすぐに×をクリックすることをお勧めします。

 本題は何かというと、20代の私が初めて、ラウンドワンで一人ボウリングしたということだ。文字にしてみると改めて寂しい。趣味としてボウリングを楽しんでいるわけでもなく、ただボウリングに行きたいけれど友達を誘うことを出来ない男がボウリングしたい欲を抑えられず、ドトールで1時間逡巡したのち、ラウンドワンに足早に向かった。上京してきてなかなか友達がいない女優さんが話をするのとは違う。一般人のボウリングスコアがいつも100を超えない男が一人でボウリングをした。

 8月前半の夜9時頃だったのもあって7階のレーンは貸し切り状態でプレーをスタートした。ボウリングをすること自体が3年ぶりだったこともあってか、なかなか楽しかった。技術は進んでいて、毎回画面で自分のスロー動画を確認できるのだ。ストライクを出せるときは力みがなく、スムーズに腕を振れているなんていちいち確認しながら1ゲームを終えた。周りには店員さんしかいないのもあってか一人だということをあまり意識せず、ボウリングに没頭出来た。やっぱり没頭するためには孤独が必要なのは、うまい飯を食べるのと変わらないななどと、「孤独のグルメ」が頭をよぎったりした。

 そして3ゲームほど投げ続けて腕が疲れてくる、というよりボールに引っ掛けるための指が疲れてくる。そもそも指を使ってタイピングなきゃいけないのに、それから逃げるためにボウリングをしたかったのに、指を消耗させるとは本末転倒すぎると、改めて自分の愚かさと向き合わされ楽しくなくなってくる。やはり逃げる前に、課題をこなす人間でなければ生きている価値はないのかなどと悲観的になるが、前金制で、希望すれば何ゲームでも朝まで投げ続けるプランにしたのだから、指なんて壊してしまえとやけになって投げ続けると決断する。別に提出できなくたって殺されるわけでは無い。自分がどんどん追い込まれるだけだと。

 そうして10時を過ぎると、男1、女3のグループで近くのレーンにやって来た。男は店長と呼ばれていて、明らかにおっさんだったのでガールズバーの店員さんグループだと勝手に予想した。ストライクが出るとやはり盛り上がってハイタッチしているし、楽しそうだった。私はストライクが出ても、うっしと小さくガッツポーズをするだけで他者と喜びを分かち合えないのが、こんなに悲しいのかと痛感した。

 画面上で、他のラウンドワンでプレイしているグループとオンラインでつながれるというサービスもあるのだが、何度もグループ検索しては、平均スコアなどを見てたじろいだ。地雷男とプレイして相手になんのメリットがあるのかと逃げてしまう。同世代の男3人グループなどから申請がきたりもしたが全部断った。勿論一人おっさんからの申請もお断りした。他者と喜びを共有したいと思いつつも、お誘いは断る。こんな自己中心的な性格だから誰からも誘ってもらえないのだろう。

 もう状況報告がめんどくさくなってきたので、ここまでにする。結果13ゲーム投げて、最後は利き手と逆の左で投げてみたりした。そして終電を逃し、カプセルホテルに泊まって一夜を過ごした。12時過ぎてもやっている中華屋さんの誘惑には負けたが、現金を持っていなかったお陰で、「お兄さん、マッサージあるよ、写真で選べるよ」の誘いには乗らなかった。無駄に広いカプセルホテルのお風呂で我慢した。

 そして一個前の記事に書いた有料会員については、たぶんパスワードを入力してもnew entry に代わるようになったから多分解約出来ているはずだ。クレジットカードの請求ページが更新されるまで油断できないが。

 せっかくの休日にこんな記事を書いている男が世界中どこにいるだろうか?おそらくネット上にはたくさんおられるだろう。なんだか民主主義が崩壊してしまうかもしれない危険も分かるような気になってもくる。

 これから私は、最近進ちゃんと違う親戚の名前を呼ぶようになった祖母の家に遊びに行く。祖母のボケの兆候についてはすぐにでも詳しく書こうと思うがこれもめんどくさい。他人のボケは可愛いと笑ってられるが、当事者になると殺意さえ湧いてくるというのが現実というのをひしひしと感じてくる。その証拠に祖父は最近、祖母が動かなくなったせいか、疲れ気味で心配だ。疲れがたまると人は人でなくなる。

 これで原稿用紙8枚分程度か。やはり文章が長ければいいというものではなさそうだ。 商品ページを見てみたらなんと約7000円もする本だった。価格に驚いている時点で、私はこの書が伝えたいことをくみ取れていないのが分かる。