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1日8時間寝るとして・・・・・・・・

bowling alone

 「今週のお題」が読書感想文になっていたから、前から気になっていたけど分厚くて難しそうな本を図書館で借りた。

 内容は面白く、思っていたよりもすらすらと読めた。読み終わってすぐに記事を書き始めればいいものの、なんだか私がこの本について感想文を書いたところで、などと考えてしまって、ゲームをする時間を優先させた。こんなことばかり繰り返しているからいつまでたっても変わらないのだろう。

 ただ感想文を書くという目的がない、人と話す必要がない、それについて何かアウトプットしなくてもいい読書が好きだ。昔から図書館に通い、本を読むことは好きだが、本を読んで他者と感想を言い合う、議論するなどといったことをしたことがない私はなんだか寂しい気もするけれど、読書と文字を読むことの違いが分かっていない、私がいつもやっているのは文字を追っているだけのような気がしてくるけれど、やっぱり楽しいことなんだと思う。アウトプットが求められる勉強は大嫌いだから、大多数のひとには理解されないような、無意味な時間なのかもしれないけれど、他者と共有しないことの方が時代の流れとは逆行していると感じながらいまだに好きな気がする。

 この本のキーワードは社会関係資本だと思った。題名にもあるように、例としてボウリングクラブ等の、人とのつながりが活発な方が暮らしと民主主義には良いことを筆者は論じていたと思う。本を読んでも一週間で内容の大部分を忘れてしまう私が内容を語っても、ただの頭の悪い、主張を誤読している読者コメントにしかならないのでそこは割愛したい。どうせ「孤独なボウリング要約」と検索すればそれっぽいことをまとめてくれているサイトがたくさんあるだろう。専門家の意見とも出会えるかもしれない。ただ私はそれをしない。そもそも読書感想文はその本を読んで思ったことを書くものだと認識している。つまりその本に関係していることならなんでもいいと思っている。本を読んでも内容を忘れてしまう私は、学生時代よくこれを濫用した。なぜこの本を読もうと思ったのか、最初の一行を読んでなにを感じたのか、題名から考えたこと等々。内容には出来るだけ触れずにさも一通り読んで、特に気になったのが最初の段落だったと見せかけるのだ。S評価はもらえなかったが、いつもA+だった気がする。学生時代に変えなかったことを変えるのはだんだん厳しくなってくる。このブログを読んでくれた方に、高校生以下の方はおられない可能性が99%の気がするが、おそらく子を育てる親世代の方はいらっしゃるだろう。子供が私みたいにひねくれ者に育って欲しくないなら、宿題を手伝ってあげる時間を確保することをお勧めしたい。そして感想文を書く前に一冊読み切ったかどうか確認してあげてほしい。そして、繰り返し読んでいたりしたならば、何かご褒美をあげてほしい。ただ添削して赤字たっぷりにしてあげちゃうみたいなことはやらない方がいい気がします。誤字、脱字チェックぐらいがちょうどいい気がする。

 こんなだらだらと書くことならバカでもできます。というより、バカな方がだらだら書くのは得意です。洗練された文章はシンプルで論理展開が分かりやすいです。ここまで読んでつまらないと思われる方が大多数だと思うので、ちきしょーまた馬鹿なやつに時間を使わされたとすぐに×をクリックすることをお勧めします。

 本題は何かというと、20代の私が初めて、ラウンドワンで一人ボウリングしたということだ。文字にしてみると改めて寂しい。趣味としてボウリングを楽しんでいるわけでもなく、ただボウリングに行きたいけれど友達を誘うことを出来ない男がボウリングしたい欲を抑えられず、ドトールで1時間逡巡したのち、ラウンドワンに足早に向かった。上京してきてなかなか友達がいない女優さんが話をするのとは違う。一般人のボウリングスコアがいつも100を超えない男が一人でボウリングをした。

 8月前半の夜9時頃だったのもあって7階のレーンは貸し切り状態でプレーをスタートした。ボウリングをすること自体が3年ぶりだったこともあってか、なかなか楽しかった。技術は進んでいて、毎回画面で自分のスロー動画を確認できるのだ。ストライクを出せるときは力みがなく、スムーズに腕を振れているなんていちいち確認しながら1ゲームを終えた。周りには店員さんしかいないのもあってか一人だということをあまり意識せず、ボウリングに没頭出来た。やっぱり没頭するためには孤独が必要なのは、うまい飯を食べるのと変わらないななどと、「孤独のグルメ」が頭をよぎったりした。

 そして3ゲームほど投げ続けて腕が疲れてくる、というよりボールに引っ掛けるための指が疲れてくる。そもそも指を使ってタイピングなきゃいけないのに、それから逃げるためにボウリングをしたかったのに、指を消耗させるとは本末転倒すぎると、改めて自分の愚かさと向き合わされ楽しくなくなってくる。やはり逃げる前に、課題をこなす人間でなければ生きている価値はないのかなどと悲観的になるが、前金制で、希望すれば何ゲームでも朝まで投げ続けるプランにしたのだから、指なんて壊してしまえとやけになって投げ続けると決断する。別に提出できなくたって殺されるわけでは無い。自分がどんどん追い込まれるだけだと。

 そうして10時を過ぎると、男1、女3のグループで近くのレーンにやって来た。男は店長と呼ばれていて、明らかにおっさんだったのでガールズバーの店員さんグループだと勝手に予想した。ストライクが出るとやはり盛り上がってハイタッチしているし、楽しそうだった。私はストライクが出ても、うっしと小さくガッツポーズをするだけで他者と喜びを分かち合えないのが、こんなに悲しいのかと痛感した。

 画面上で、他のラウンドワンでプレイしているグループとオンラインでつながれるというサービスもあるのだが、何度もグループ検索しては、平均スコアなどを見てたじろいだ。地雷男とプレイして相手になんのメリットがあるのかと逃げてしまう。同世代の男3人グループなどから申請がきたりもしたが全部断った。勿論一人おっさんからの申請もお断りした。他者と喜びを共有したいと思いつつも、お誘いは断る。こんな自己中心的な性格だから誰からも誘ってもらえないのだろう。

 もう状況報告がめんどくさくなってきたので、ここまでにする。結果13ゲーム投げて、最後は利き手と逆の左で投げてみたりした。そして終電を逃し、カプセルホテルに泊まって一夜を過ごした。12時過ぎてもやっている中華屋さんの誘惑には負けたが、現金を持っていなかったお陰で、「お兄さん、マッサージあるよ、写真で選べるよ」の誘いには乗らなかった。無駄に広いカプセルホテルのお風呂で我慢した。

 そして一個前の記事に書いた有料会員については、たぶんパスワードを入力してもnew entry に代わるようになったから多分解約出来ているはずだ。クレジットカードの請求ページが更新されるまで油断できないが。

 せっかくの休日にこんな記事を書いている男が世界中どこにいるだろうか?おそらくネット上にはたくさんおられるだろう。なんだか民主主義が崩壊してしまうかもしれない危険も分かるような気になってもくる。

 これから私は、最近進ちゃんと違う親戚の名前を呼ぶようになった祖母の家に遊びに行く。祖母のボケの兆候についてはすぐにでも詳しく書こうと思うがこれもめんどくさい。他人のボケは可愛いと笑ってられるが、当事者になると殺意さえ湧いてくるというのが現実というのをひしひしと感じてくる。その証拠に祖父は最近、祖母が動かなくなったせいか、疲れ気味で心配だ。疲れがたまると人は人でなくなる。

 これで原稿用紙8枚分程度か。やはり文章が長ければいいというものではなさそうだ。 商品ページを見てみたらなんと約7000円もする本だった。価格に驚いている時点で、私はこの書が伝えたいことをくみ取れていないのが分かる。