だいたいこのブログを始めてから1年たった。1年前の自分と比べて何か変わったことはあるだろうか。若干痩せたことぐらいだろう。人間そう変われるものではない。
1年前このパンデミックが起こることを予見していた人はいるのだろうか。少なくとも私のところには首都直下型地震がいつ来てもおかしくないという情報しかなかった。
災害時のための避難用袋の中身を確認したことをなんとなく覚えているが、実際に起きた状況は全く違った。避難するのではなく、おこもりをしなくてはいけない。家から逃げてはいけなかった。
人混みがあまり得意ではなく、暗い道を歩いているとなぜかほっとした気持ちになるような私にはおこもり自体は辛いことでもなんでもなかった。ただ外は怖かった。家の外に出ることというより、マスクをして、スマホの画面を凝視しスクロールしている人が何か怖かった。やましいことがなくても、何か見張られている、パトロールされているのではないかという疑い深い気持ちになる自分も嫌だった。
雑記ブログなんて誰も見向きもしないことは分かっていたが、投稿することで誰かしらの力になれることなんか書けるはずもなく、ネガティブなことしか考えられない状態でブログを開くことはできなかった。いつも楽しそうな写真をインスタグラムにアップしていた知り合いの姿も徐々にいなくなり、それまでのそういう時間は雲を眺めて空想する時間に変わった。
ただいつまでも恐れていたら先へ進めないのも明らかだ。不要不急のこのブログをスローなペースで再開してもいいだろうと判断した。
不思議なことにアクセス数を確認すると2日に一度くらいアクセス数が1になっている。
私は見ていないので、何らかの形で流れつく人がいるのだろうか。はたまた運営サイトの方がお情けでアクセス数がつくようなプログラムでも組んでくれているのだろうか。
人生100年時代だ。老後の生活に2000万円が必要だと騒がれていた時にはたして戻れるのだろうか。明らかに先のことが見通せない人の方が増えている。もう恐ろしくてそんなことをアピールできるような雰囲気ではない。
スマホさえあれば何でもできるような世の中に変わったことは果たしていいことなのかも疑問に残る。正直なところスマホをいじくる時間が長ければ長いほど利他の精神は失われていくような気がする。私の使い方が良くない、+性格のせいなのかもしれないが。
昨日は久しぶりにラーメン屋さんに入った。パイタンラーメンを初めて食べてみたが予想以上にドロッとしていて濃ゆいスープだった。ただ知らぬ間に麺をすするたびにレンゲでスープをすくった。休日だったからか、男女のカップルで来られている方も多かった。女性も食べたくなる味なのだろか。500メートル先の別のラーメン屋はほぼ男性しか並んでいなかったのでそういうことなんだろう。確かに優しい、病みつきになりそうなスープではあった。替え玉したくなるような細さも、チャーシューが2種類のってくるのも楽しかった。食べた後は半年は来なくていいなと強がったが、振り返るとまた行きたくなってきた。お店も綺麗だったし。モデルさんで年に2回のラーメンを楽しみにしているとテレビで語っているのを見てからなんとなくラーメン屋から足が遠ざかっていた。カップラーメンはたくさん食べるくせに。
今日の昼はガーリックライスにした。気づけば茶色のものばかり食べている気がする。
内容が無くなってきたのでこの辺で終わりにする。
暇つぶしにはなるが、ブログを書いて得られるものは何もない気がする。
1年前はブログ肯定派だったはずなのにおかしい。自分の文章力のなさに辟易する。