雑記帳改めただの雑記だよ

起き抜けに水道水を飲んでいたのに、ミネラルウォーターの美味さに最近あらためて気づかされ、飲料としての水道水から離れている忘れっぽい若者が、ナチュラルにアノニマスに墨を磨る行為の良さを忘れないように…

選択式問題のひっかけでいつも躓く

今週のお題「住みたい場所」

 時間制限のあるテストで完答を目指すのはなかなか難しいし、テストの役割を考えても全問正解など求められていないことが多い。普通自動車運転免許の筆記試験でさえも1回では通れなかった人間だし、検定試験なども3回ほど連続ですべり、もう試験などそもそも受けなかったと思いこめば汚点にならないなどと言い聞かせ諦める愚かさも備わっている人間だから、テストが上手くいかなかったとて、忘れればよしと思っている。

 それでも試験に臨む以上全く勉強しないわけではないから、最小の努力で最大の結果をと言い聞かせやる。正解が必ずしも1つではない、論述式の問題だったりするとごまかしもしやすいし、合格点はもらえなくても零点ということはほぼないだろう。性質が悪いのは正しい選択肢を選べ形式のものだ。普通に考えれば勉強してなくても鉛筆転がせば、4択なら25%で当たると言われそうだが、私の場合勉強していないわけではないため、出題者がひっかけとして作った選択肢を違う気もするけどなどと首をかしげながら選び、不正解の答案が返ってくる。

 直近のミスは、問題文をしっかり読んでいない者をあぶり出すための問題で起こった。次の中から誤っている選択肢を1つ選べ形式のもので、時間はかけれたので1つ1つの選択肢をじっくりと読み比べ、まず明らかに正しい選択肢を外して、一つだけンっと引っかかるものがあったのでそれにした。でもそのンっと引っかかったものも必ずしも間違いとは言えない記述で、それについて何度もいやっいやと行ったり来たりを繰り返し、まあこれ以外どれもはっきり正しいしとそれに決めた。書きぶりからも分かるように勿論それは間違いの選択肢で、中途半端に知識を頭に入れている奴への引っかけだった。

 正解はそれ自体は正しい記述だけど、質問で求められている答えにはなっていないものだった。○○についての○○のところに当てはまっていないという解説だった。非常に引っかかった自分に腹を立て今こうして振り返った。どうせ明日にも忘れているだろうが悔しいと久しぶりに思った。

 この失敗から得られるバカでもやらかさないための術は、とにかく問題文を読み、選択肢が1つに絞れなかったり自信が持てない時はもう一度問題文に立ち返ることを徹底。完璧などハナから諦め、手こずる問は捨てて合格ラインを目指す。

 今回は大丈夫だったが、よくやる失敗は、正しいものを選べと間違ったものを選べを逆に捉えてしまう行動だ。問題文が長かったりすると読んでいる途中で選択肢の方に目がちらつき、早とちりしてしまう。それで一つ選べ形式ならはっあっぶねーと気付けるが、すべて選べ形式だとそうもいかない。ドボンだ。

 本当に準備はやりつくしたのかと一生懸命勉強すれば、それだけで価値があるだろうが、試験を通りたいがために勉強する者には、結果が悪ければ残るものなどほぼない。それに費やした時間を他の楽しいことに充てたかったとなる。そして今回のように解けそうだったのに間違えた問題に執着して怒る。もう点数は変えられないのに。

 反省はさておき、住みたい場所について短く考える。メディア等の影響をすぐに受ける自分は、「本当に住みたい街ランキング」やら「暮らしやすい駅ランキング」などを見て、いやいや誰があんなキラキラしてるっぽいところ住みたいんだよとか、満員電車地獄大変そうだとか、主に悪口ばかり思いつく。住みたい街に住んでみたーい、あそこに住めるようになりたいとかは今のところ思わない。

 で、ひねくれた性格が悪い者が憧れるのが、陸の孤島とか断崖絶壁が近くにある車でしか行けないような場所、森は好きではないのでプライベートな砂浜が目の前に広がる小屋とかになる。そんなところに1人で住めるはずもないので、私が世話係として雇ってもらって住むか、宝くじでもあたって大地主として島を持つか(100メートルを9秒台で走れるようにこれからなるようなもの?)となる。月に一回ぐらい、小舟又は車を使って大都市で遊ぶそんな暮らしを1年ぐらいなんの心配事もなくしてみたい。

 そんな大層ななれない身分の人に憧れるよりも、今の住んでいる場所で綺麗な花を咲かせようと思うのが賢い人であるのは間違いない。かといって働きアリのまま一生を終えるというのも怠惰な私には厳しい。結局できるだけ無い頭を使い、楽な方に逃げていくのが私が今望むべきものなのか(結局逃げていると、どんどんハードモードになるというオチ)